――世の中の全てが知りたかった
――でもそれは叶わぬことで
――僕らはいつしか忘れて行くんだ
――頑張って「知った」ことも
――知ろうとしていた事も
Refrain
Act1.日常-1
「よっ」
階段を、二段飛ばしで駆け下りる。
休み時間が終わったばかりのせいか、各階の廊下や教室からは騒がしさが響いてくる。
私立詩織学院高等学校の中央階段は、全ての棟の中心であり、この学園内でもっとも高い6階建ての1号館の中央を走る階段だ。その階段を殆ど飛び降りるような勢いで駆け下りている少年が一人。
瞳と同じ色の濃い茶色の髪は、ワックスをつけたわけでもないのにウニのように飛びはねている。はだけた夏服のカッターシャツの下から、校則違反の黒いTシャツが覗く。
間違っても優等生とは言いがたい生徒。彼は、名を刃夜鋼刃[ジンヤコウハ]という。
5階、4階、階段を脱出、ホールのT字路を左折して廊下を駆け抜けて3つ目、壁際の――406と書かれた教室。鋼刃のクラス、2年D組はそこにある。
「先生はまだ来てないか、よかっ――」
独り言を言いながら教室を覗き込む。目に入ったのは、見慣れたオレンジ色の髪の少女、と
『数学II/B』
「――たわぶっ!?」
……彼女が投げた教科書だった。
「いぃっっ……てーだろてめぇ何し――」
『スタンダード英和辞典』
「やがんんっ……」
彼女が投げた、次は辞書で、今度こそ鋼刃は撃沈した。
床に転がった鋼刃の元に、ずかずかと彼女――鈴瑪扇璃[スズノメセンリ]が歩み寄る。
そのまま顔を近づけて、黒い笑顔のまま鋼刃を見下ろす。
「今まで何をしてたのかなぁ?」
「……白」
「は?」
「今日のお前のぱんっあぁぁっ!? いてぇいてぇごめんなさいホントマジで!!」
容赦なく鋼刃の頭を踏みつける扇璃。
「ってて……何だよ、意味わかんねぇって……」
「時計を見なさい時計を!」
起き上がり、扇璃に言われて時計を見る。
「ぁん? 昼休み終わったんだから1時過ぎ――」
15:37
「……てから2時間経ってるネ!」
「『ネ!』じゃないわよこのバカ! 午後全部サボっといて!」
今度は全力で頭を叩く。
「あんたねぇ、いい加減古典の先生プリプチきてて大変だったんだからね!?」
「知るかよあんな無能――」
「こらこら、悪口は聞こえないように言え。でかい声で言うと聞こえるぞ」
鋼刃が毒づきかけた所で、クラス担任の幸崎潤一郎[コウザキジュンイチロウ]が、後ろから出席簿で鋼刃の頭を小突く。その後ろを、古典の富重が何も知らずに通過した。
「いいよ別に……」
「先生には敬語、だろ。終礼やるぞ、席に着けバカップル」
「カップルじゃないっ!」
「カップルじゃありませんっ!」
二人の声がハモる。
「バカは否定しないのな」
呆れながら呟き教室に入る幸崎に、二人もついて入った。
φ
「起立、礼!」
『しゃーす』
2-Dの生徒、総勢40名が、学級委員の声に合わせて礼をする。
「んじゃ、終礼の連絡……は、大した連絡はないのでハショる。 ああ、1年が恐喝にあったらしいから注意すること」
十分大した連絡だと思う。
「で、だ。このクラスのサボり魔3人が職員室で話題になってるわけだが」
目があったので、とりあえず担任から目を逸らす。
「そこのチャイロウニ、合わせた目を逸らすな」
教室から笑いが起こる。開き直ったのか、鋼刃は向き直って胸を張った。
「昼休みの屋上は寝心地がいあぅぁっ!?」
言葉の途中で、前方から飛んで来た出席簿が鋼刃の頭を直撃した。今日はよく物が飛んでくる日だ。そのうち隕石でも落ちてくるんじゃなかろうか……。
「サボるにしてもバレないようにやれ、面倒だろ」
「それは教師の台詞か……?」
鋼刃の呟きは聞こえなかったらしい。「とにかく、」幸崎が続ける。
「桐原と相良は、今日はきてないから今は仕方ないが、登校してる限りは授業にでとけ。いいな?」
「へーい」
「じゃあ、何か連絡のある奴? 居ないか、んじゃ解散ー。高木」
「起立、礼」
『っしたー』
学級委員−−高木直子[タカギナオコ]の号令で40名が一礼し、放課後を迎えた。
φ
「川崎さん、」
「ん?」
「桐原、どうしたの? まさか体調不良とかいうことはないよね?」
桐原勇志[キリハラユウジ]は、先ほど幸崎が言ったように、2-Dのサボり魔の一人で、鋼刃と同じく「学校にはくるけどクラスには居ない」タイプの人間だ。
ちなみに、鋼刃と桐原以外に、もう一人相良という男が居るが、彼はまず学校に来ることが少ない。
そして今鋼刃が声をかけたのは、川崎由井[カワサキユイ]。桐原の彼女であり、一番確実な情報が手に入る相手だ。
「さぁ……朝と昼にメールしたけど、返事がないんだよね」
「そっか。どうしたんだろうな」
「鋼刃、帰るよー」
「早くこーい」
友人たちが呼ぶ声が聞こえる。
「ああ、悪い、今行く!
んじゃ、ありがと、川崎さん」
「うん。また明日」
φ
「由井ちゃんと、何話してたの?」
帰り道。扇璃が鋼刃に訊く。
「桐原が休んでたからさ、何か知らないかと思って。
あいつに限って風邪はないだろうし……」
「単に寝坊じゃねーの?」
口をはさんだのは、二人の所属する『闘技部』の同期、一条達也[イチジョウタツヤ]だ。
「あいつならないとも言い切れないけど……寝坊しても遅刻してくるだろ、あいつ」
鋼刃の言うように、桐原勇志という男は、学校に「部活でサッカーしにきてる」という人間だ。よりにも寄ってサボるわけがない。
「うーん、幸崎先生は『休み』としか言わなかったしなぁ」
「事故死してたりすんじゃね?」
「いやいや、それはまさかだろ」
その後、他愛のない話で桐原の話など忘れた頃。
「あ、俺、今日バイトだからー」
「ああ、またな」
「また明日ねー」
達也が別れ、扇璃と二人になると、彼女が口を開いた。
「そういえば、さっき1年生が恐喝に遭ったとか言ってたよね?」
「幸崎さん言ってたな」
「あれ、うちの1年らしいよ?」
「……マジか、知らなかった」
ふと、前から向かってくる人が居たので、左に寄った。
「私も、まだ名前までは――」
その人は、右手でカバンをあさっていて。一瞬、鋼刃と目があって。
――今日は、よく物が飛んで来る日だ
教科書、辞書、出席簿。
「―――――!!」
「っ!?」
……終いにはナイフが飛んできた。
モドル