――氷のように少しずつ
 ――平和な日々が溶けてゆく
 ――溶けた氷に凍えていても
 ――僕らはそれに気付かない

 =Refrain=
  Act1.日常-02

 飛んで来たナイフを間一髪で避ける。浅く頬が切れた。
「なっ――」
 声を上げる間もなく、男が動く。腰に下げたシザーケースからナイフを右手に取り出し、低い姿勢で二人に肉薄する。男のナイフでの攻撃を右手の制鞄で叩き落とし、扇璃を突き飛ばしながら、鋼刃の左拳が男を狙うも、相手の左手に防がれる。反撃を回避し、鋼刃と男が間合いを取る。

Φ

 その様子を、三人の学生が見ていた。一人は、茶髪の長い髪の長身男。一人は、逆に丸坊主の小柄な男。最後の一人は、眼鏡をかけたハーフのような男。三人とも不良生徒であり、鋼刃の所属する『闘技部』の三年生だ。
「居たぜ、刃夜だ」
「喧嘩か?」
「まぁ、襲撃のチャンスじゃね?」
 闘技部は、顧問の幸崎(鋼刃の担任でもある)の方針で完全実力主義を取っていて、強い者なら、1年でも2年でも主将・副将になれる。代わりに幹部は常に背後を気にしなければならなくなるのだが。
 今、主将は3年がやっているが、二人の副将は鋼刃ももう一人も2年。言うまでもなく他の3年はおもしろくない。
 ここまで述べればわかると思うが、この三人も副将の座を狙っている。どんな形であれ、鋼刃を倒せば副将の座につけるから、背後から滅多打ちにでもするつもりなのだろう。
「ナマイキな2年だ。ボコるチャンスを逃すなよ」

Φ

 当の本人はそんなことも知らず……というかそれどころではなく。扇璃を護りながら、鋼刃は敵のナイフを捌いていた。今では両手に構えられた15センチほどの長さのナイフは、避けなければ確実に致命傷となる一撃を放ってくる。スキをついて相手を踏み蹴り、男と少しだけ間があいた。
「っ……扇璃! 危ねーから逃げて警察呼んでこい!」
「は、はいっ」
 なぜか敬語で返事をして、携帯を取り出して扇璃が走り去る。それも気にせず立て続けに繰り出されるナイフでの攻撃をよけながら、鋼刃は反撃の機を伺っていた。が。
(――スキがないっ)
 大振りするわけでも曲芸のような動きをするでもなく、淡々と繰り返される攻撃は、鋼刃を徐々に壁際へと追い詰めていく。背中に硬い壁が触れるまで、さして時間は必要なかった。

 ヤバい。

 突然だが、闘技部は、かなり実践的な形を取っている。
 刃を潰したものではあるが、ナイフを使った戦闘もすれば、模造刀での戦闘、エアガンを使った戦闘すら行っている。もはや学校の部活の域を飛び出ているが、それもこれも全国の異種格闘技大会で上位に名を連ねる上位校であるからだ。
 実践に限りなく近い戦いに慣れているからこそ、鋼刃にはわかる。実力は相手のほうが少し上、反撃はことごとく回避され、相手は武器を持っていて、そして背後には壁。

 この状況は、敗北率が極限まで高まる状況。

 鋼刃がちらと後ろを伺ったのを、男は見逃さない。左手のナイフで牽制し、右手のナイフを振り上げ――
「ぬぉりゃっ」
「!?」
 その腕に器用にもヒットした跳び蹴りによって、体制が急激に崩れる。
「ど・け!」
 着地・追撃。無防備になった男の体に両の掌底がめり込み、男と眼鏡が地面に転がる。
 唖然とする鋼刃の目に写ったのは、スキンヘッドの先輩の姿だった。名前は忘れた。
「よう、副将さん」
「ま・さ・か・負けてんじゃねーだろうな?」
 後から追い付いたロン毛の先輩と眼鏡の先輩(やはり名前は忘れた)の、皮肉たっぷりな口調を見ると、どうやら鋼刃が殺されかけていたという現状に気付いていないらしい。まぁ言ったようにナイフどころか刀で戦っていてもおかしくない部なので仕方がないかもしれないが。
 気付いてない証拠に、愚かにもハゲ先輩(あだ名)は、ズカズカと殺人未遂犯の元へ歩き、ビシッと指をさし、「副将の座は俺らが貰う! 邪魔すんな!」などと叫んでいる。とりあえずその発言で、この一つ上の先輩達の目的を悟った。
(……だからこの方式やめろって言ったのに、あのバカ教師……)
 内心ため息をつきながら、壁にあずけていた体を起こす。
 同じ頃、男が立ち上がる。眼鏡の外れた男は、何気に美形だったことを記しておく。
「邪魔すんなら俺らが相手を――」
 一瞬の出来事だった。
 男の目が一瞬鋭くなり、指をさしたままの先輩に向かって、男が瞬間的に加速。

 次の瞬間には、先輩の頭は男の左手にあった。

 鋼刃達が反応するより早く、ぐらりと傾ぐ先輩の体の腹部に男の回し蹴りが直撃し、壁にたたき付けられた肉塊は座り込むような形に崩れ落ちた。
「なっ――」
「ヒャハッ! ごぉぉぉぉっ!」
 歓喜に満ちた、狂った笑顔と共に。初めて聞いた男の声は、叫び声だった。
 しかも、まだ終わりではなかった。
 左手に持った頭を、血がつくのもお構いなしに右手で逆さまに持ち直し、肉塊へとダッシュし、飛び出た背骨に向かって、ダンクシュートのように脳天からたたき付けた。

 ちょうど、頭が逆さまになったかのように。

「ひっ……日高!?」
 後ろで誰かが呟く声と、吐く音が聞こえる。頭を整理する間もなく、男が鋼刃の方へと向き直った。同時に、ハゲ先輩(そうだ、日高さんだ)の元へロン毛先輩が駆け寄る。
 鋼刃との一瞬の睨み合いの後、男が地を蹴った。

 ロン毛先輩の方へと。

「せんぱ――」
 気づいて声を出すいとまもあればこそ。
 次の瞬間には、頭が逆さの死体が出来上がっていた。
「高木!!」
 眼鏡先輩の声が聞こえる。ロン毛先輩(高木先輩、というらしい)の元からユラリと立ち上がった男が、初めて「言葉」を喋った。

「次は、どっちだ?」

 Φ

「雛崎町西区、通称『雛西Y字路』にて『ナイフ男に襲われた』との通報。至急向かって下さい」
 警察から、ひとまず近場の派出所へと連絡が行く。マニュアルの通りに、指令を繰替えすべく再び口を開く。
「繰替えします、『雛西Y字路』にて――」
『ちょっと代わってくれ――え、ちょっ――いいから寄越せ』
 何やら電話の向こうでもめているようだ。などと考えていると。
『通報主は、詩織学院の女の子だったか?』
「は、はい? そうですけど?」
 突如女の声が聞こえてきた。
『上の者に、「セキシが向かった」と伝えろ。通じるはずだ』
「ちょっ、あなたはそのセキシさんなんですか?」
 答えたのは電信音だった。

Φ

 眼鏡先輩(木下だったと思う)も、鋼刃も。その場を動けなかった。動いたほうから殺されると、野性の勘が告げていた。
「……なんだ、どっちも動かないのか。じゃあ――」
 木下先輩が息を飲んだのが聞こえた。男が動く。同時に、先輩が踵を返した。しかし、遅い。すぐに真後ろに男が迫る。
「なぁぁぁなぁぁあ!!」
「うぁぁぁっ!!」
 男の嬌声と、先輩の悲鳴と――鋭い金属音が、辺りに響いた。
 ウォレットチェーンを巻き付けた鋼刃の右拳が、ナイフを止めていた。鎖と骨に挟まれた皮膚から、軽く血が滲む。
「好き勝手やってんなよ、うちの先輩に!」
「ッ!?」
 まさか止められるとは思ってなかったのだろう。一瞬動きが止まった男の顔に、渾身の左ストレートが直撃した……にも関わらず、軽くのけ反って後退しただけで男が踏み止まる。
「てめぇ……」
 殴られた勢いで一度青空を見上げ、完全にどこか別の世界へと飛んでいっているような瞳で再び鋼刃を睨む。
「お前から殺してやるァ!!」
 完全にキレたのか、鋼刃に向かって地を蹴り――
「……来た」
 互いの中間地点辺りで停止し、ふいと左上を見上げて呟く。
「あん?」
「……次に会ったときは殺すからな」
(普段無口な奴って、喋りはじめるとよく喋るんだよなぁ……)
 突然の事態に鋼刃の頭は処理を諦め、あらぬことを考えてはじめた。思考を元に戻す間に、男は横の塀(3mは軽くあるだろう)に軽々と飛び乗り、どこかへ消えてしまった。
「あ……こら、待て!」

「やめておいたほうがいいですよ、頭を逆さまにされたくないなら」

 後を追って塀に上ろうとした鋼刃に、制止の声がかかる。振り返った先に居たのは、扇璃と、見知らぬ女性だった。
 背が高い。鋼刃が178だから、この人は175くらいか。唇の薄い日本人形が、毛先パーマをかけてポニーテールにすればちょうどこうなりそうだ。顔立ちは美しく、穏やかな微笑みは柔らかな羽を想起させた。
「木村先輩、大丈夫ですか?」
 眼鏡先輩(木下じゃなくて木村だった)の元へ扇璃が歩むのを一瞥したあと、その人は鋼刃にその笑みを向けた。
「『逆髑髏』事件初の生存者ですね」
「サカドクロ?」
 見知らぬ言葉に、オウム返しに問い返す。
「3日で3人――いや、これで5人の被害者を出した、通り魔猟奇殺人事件。マスコミには警察の全勢力をかけて報道規制をかけてあるんですけどね」
「……で、あなたは?」
 急に襲ってきた吐き気をごまかすべく、思わず目を遣った死体から無理矢理目を逸らし、質問を変える。
「ん。ああ、名乗るのを忘れてたみたいですね。私は『跡屍(セキシ)』。訳あってフルネームは教えられないんですけど、警察の者です。ご安心ください」
 全く表情を変えることなく、セキシと名乗った女性は礼儀正しい敬語で答えた。
「……その訳っていうのは?」
「それにしても、よく生き残れましたね。彼の身体能力は並の人間を軽く越えるのに」
 どうやら機密事項らしい。遅れて駆け付けた数名の警官に挨拶しながら、セキシが言う。
 それにしても清々しいほどのスルーだ。
「手のケガは、大丈夫ですか?」
「少し痛いくらいですけど、慣れてるので大丈夫ですよ」
「一応、そのケガの治療費は警察の、逆髑髏捜査本部から支給します。あと、犯人の情報料として追加で――」
「ンな金があるなら、政治家達全員に監視カメラと盗聴器でもつけてやってください。税金は国のためのものでしょう」
 扇璃は木村先輩の方に行っているようだ。段々と周囲が慌ただしくなっていくのを見ながら、鋼刃は答えた。
「――……流石は詩織学院の副将、刃夜鋼刃君ですね。度胸がある」
「!」
 名乗ったわけでもないのに素性を言い当てられ、目を見開いた鋼刃に、セキシは相変わらずの羽の笑みで口を開いた。
「警察では有名人ですよ、歴代の中でも初めての二年生幹部。しかも二人も」
「……そりゃどうも」
 どういう意味で有名なのかは深くは訊くまい。
「さて、」セキシが言葉を次ぐ。
「そろそろ事件の話に戻りましょうか。犯人の武器はなんでした? あそこまで見事に首を切断するなら、刀とか?」
「いや……ナイフでした。じゃなかったらチェーンで防げませんよ」
 セキシはメモを取りながらいくつかの質問をした。たいした情報はなかったが、話せることはとりあえず話しておく。
「……素晴らしいですね」
 一通りの質問を終えた後、セキシは一言感想をもらした。
「普通、あんな体験をしたらショックでこんなに思い出したくないと言う人が多いんです。
 なのにあなたはここまでしっかりと覚えている……恐怖はないんですか?」
「怖いですよ。ただ、必死で堪えてるだけです」
 事実、鋼刃は今、ポケットの中で震える手を握りしめ、吐き気を堪えている。意地っ張りな性格が災いしているようだ。
「ちょっと一度に色々聞き過ぎましたね……また落ち着いたらここに連絡してください」
 言いながらポケットから小さなメモ紙を取り出し、鋼刃に渡す。
「『逆髑髏殺人事件操作本部 雛崎西区中央派出所支部 副支部長・セキシ』……、副支部長ってことはセキシさん、結構偉い人……?」
「さぁ……秘密です」
 羽の笑みは、それ以上の追究は軽く流してしまいそうな雰囲気を醸していた。
「では、私は捜査に戻りますね。ご協力ありがとうございました」
「はい……あ、」返事をしかけて、鋼刃が言葉を止める。
「二人の先輩を含めて、被害者は何人って言いましたっけ?」
「え? 5人ですけど?」
 立ち止まり振り返って、セキシが答える。
「……もしかしたら六人かもしれません。犯人、殺した後に数を叫んでましたから」
「!」
 間違いはない。初めは何と言っているかはわからなかったが、確かに「ろく」と叫んでいた。
「捜索隊をだしてみます。ありがとうございました」

Φ

 扇璃と共に、警察から開放されたのは21時を回ってからのことだった。

 正確に言うと、木村先輩に付きっきりだった扇璃が戻ってきてその扇璃が納得したのが21時だった、と言うべきか。

 警察よりも詳しく深いところまで話を聞こうとしてくるところは流石と言うべきか。
「……とりあえずもうちょっと殺されかけた奴への配慮をしろ、お前は」
 わめく扇璃の言葉を遮るように話を切り上げ、歩き始める。言うまでもなくその間も色々な話を聞いた。
 セキシのことにも触れていたが、正直な話どうでもよかった。
 話題が変わり、二人の好きなアーティストの話になったが、耳に入ってこなかった。

 目に焼き付いて離れない、二つの肉塊のせいで。

 その気はなくても扇璃の言葉を聞き流しながら、鋼刃は気づけば家の前にいた。
「鋼刃、もう大丈夫?」
「ぉー……まぁなんとかな」
「じゃあ、今から『ゾンビカンパニー』やろうか☆」
「蹴るぞ」
 そんな他愛ない会話で、しばし現実を忘れられたらいいのに。
 鋼刃と扇璃の家は隣同士にある。小さな頃からよく遊んだ、いわゆる幼馴染み。生まれてすぐに母親を、小学生のときに父親を亡くした鋼刃にとって、扇璃の家族は家族も同然だった。
「何かあったらいつでもおいで、2階の窓、開けておくから」
「うん。ありがと」
「じゃ、また明日」
 扇璃と彼女の母親に別れを告げ、誰も居ない家に入り、――少し考えて、傘を手に取った。

 誰も居ないはずの2階から、足音が聞こえた。



モドル